1964年(昭和39年)、関家の屋敷林や江戸時代から残る門や蔵を通る都市計画道路3・3・7号線(市道)が都市計画決定されました。当時の関家の当主である関武夫さんは、自然環境を破壊する可能性のあるこの道路計画に対し疑問を持ちました。しかし、経済発展のためにはいたしかたない部分もあったため、自然環境を維持しながら道路を通す「トンネル案」を陳情提案しました。これにより、市議会では1976年「トンネル案」を採択しましたが、経済的な理由からトンネル案は先延ばしとなりました。
そして10年後の1986年、再度トンネル案による道路開通を市議会に陳情したところ、トンネル方式などの構造には一切触れず、「道路開通促進」という部分のみ採択し、トンネル案はうやむやになりました。
松戸市は2008年7月、都市計画道路の整備を進めるため、関さんの森(関さん所有分)の用地取得へ向けて土地収用法の手続きに基づく事務手続きを進めることを決めたと発表し、同年8月には土地収用法に基づく立ち入り調査を行いました。関さんと現場で活動している「関さんの森を育む会」では、話し合いを求める声明文や江戸時代から残る貴重な門などをう回する「関さんの森道路案」を発表して話し合いを進めてきました。協議を重ね、2009年2月には育む会が提案してきた「道路をう回させる」という内容で松戸市と関さんが合意しました。
そして2009年9月10日、基本合意書に基づく新設市道の覚書を締結されました。これにより、松戸市は土地収用法に基づく決裁申請と土地の明け渡し決裁の申し立てを取りやめました。
2012年には、う回道路が新設されました。当初の計画より道幅は狭くなり、江戸時代につくられた門や蔵、生け垣や熊野権現などは残され、樹齢200年とされるケンポナシは伝統的な立曳きにより移植されました。
関さんは調印式で「覚書が締結できて、こんなにうれしいことはありません。市民や色々な形でご協力いただいた方々、マスコミの方々、また行政の方々のご配慮に心から感謝しております。しかし、これからが本番です。道路ができても、以前よりも生きものたちが元気になり生態系が豊かになったと言われるように、本当の意味での"協働"で進めていければうれしいです」と述べました。
2019年8月30日、長年の懸案事項であった道路問題に区切りがつきました。江戸時代に建てられた門や蔵、地域の信仰を支えてきた権現様が残る屋敷内に計画決定されていた(1964年)都市計画道路の線形が変更になり、屋敷を迂回する形で2012年に開通した暫定道路が正式な道路と認められたのです。
あわせて、旧都市計画道路用地を含む屋敷内の樹林地0.2haが特別緑地保全地区として指定されました。(合計約1.7ha)
松戸都市計画道路の変更理由書 PDF
松戸都市計画の変更理由書(幸谷特別緑地保全地区)PDF